2015年4月1日(水)
「ストリートから生まれるファッションフォトグラフィー」
青木正一×清川あさみ
日本を代表するファッションカルチャー雑誌「STREET」「FRUiTS」「TUNE」を創刊し、日本のストリートスナップ誌のパイオニアでもある青木正一さん。
その青木さんに学生時代実際ストリートスナップを撮られ、昨年には青木さんのストリートスナップにコラージュを施した作品「TOKYOモンスター」を発表し現在はアーティスト、美術家としてマルチに活躍されている清川あさみさん。
そこに「FASHION HEADLINE」の編集長を務める海老原光宏さんを含めてのトークショーが行われました。
内容は2人の現在の活躍に至るまでの経緯や原宿・渋谷の街にエネルギーが溢れていた90年代から2000年代前半辺りまでの時代を引っ張ってきた2人が当時の様子を振り返り、現在のストリートファッションに何を思うのかなどを紐解いていくといった内容。
90年代ファッションに憧れと衝撃受けて上京したと言ってもおかしくないし、世間からゆとり世代と言われ現在の衰退したストリートに身を置いてスナップを撮っている側として刺激を受けないわけがなく(笑)、ちょっと責任も感じちゃったりして(汗)、、、。
3人が現在とこれからのストリートファッションについてどう思っているのかを質問できたし今だから話せる、聞けるエピソード話などもありとっても濃いいいィィ時間でした。
・・・
「ストリートファッションは衰退した」
「ファッションの自己表現は終わった」
「原宿はパンケーキ屋になったのか」
「みんな同じ服装、オシャレな人がいない」
今ではいろんな所で耳にするようになった現在のストリートファッションに対する非難の声。
その原因は「不景気」「ファストファッション」「インターネットの普及」「SNSの台頭」様々だと思う。
自分の中でのストリートファッションに勢いが無くなった理由を分かりやすく言うと、
「街に出ない」「生(なま)に触れない」
ことが一番の理由なんじゃないかなって思う。
90年代の「裏原」「ヒップホップ」「スケーター」「アムラー」「コギャル」、、、
色んなカルチャーがミックスされ何でもありだった時代がなぜあんなに盛り上がったのか?
それは当時はみんな街に出て生に触れていたから。
当時は今と違って自分の足で稼がないと情報が入ってこなかった時代。
だからみんな街に出て情報収集したりオシャレを楽しんでいたから街が人で溢れて盛り上がってた。
街がキラキラというかギラギラしてた。
街がキラキラというかギラギラしてた。
スナップを撮られたい、雑誌に載りたくて表参道を一日に何往復もする若者もいて、それがニュースなんかでも話題になってたし。
(青木さんに撮られたい人達を「青木待ち」って呼んだりもしてた)
とにかく当時はみんな貪欲でハングリー精神が凄かったんだと思う。
でも今の時代は、何事もスタイリッシュになっている時代。
じっとしていても画面1つあればいくらでも楽しみはあり、
ネットがあれば、いつでも、無駄なく、多くの情報が手に入ってしまう。
直接店頭へ行かず服を買わなくても、SNSで「これ欲しい!」と投稿するだけでセンスがあると思われる。
雑誌のスナップに載れなくても自分でコーディネートをUPできてそれをみんなが見てくれる。
自分の好きなジャンルの情報しか集めないからみんな同じ着こなしや考えになってしまい反発するとネット上で叩かれる。
買い物もネットでいくらでも買える。シャツが欲しければ「シャツ」と検索すれば何万点というシャツが出てくる。
でも実際に街へ出てみるとどうだろう…
シャツを探しに行ったつもりが隣にあるパンツに惹かれシャツではなくパンツを買ってしまう。
街でたまたますれ違った人の着こなしがカッコよかったから自分もマネしてみようと思う。
ふと立ち寄ったお店の看板の色づかい、音楽から何らかのヒントを得る。
街の雰囲気、人、音。
こういった本来なら必要としていない「無駄な情報」
こういった本来なら必要としていない「無駄な情報」
これがいかに大事かを理解している人はどれくらいいるのだろう。
「街に出る」「生に触れる」ということは、
手に入れるのに苦労する、足を動かす、無駄をするということ。
それが自分自身のファッション感度だけでなく感性みたいなものも高めてくれるんじゃないかな。
そういう若者がまた街に現れるようになったら、きっとまた街に活気が出て自信をもって世界に自慢できる原宿になるんじゃないかな。
ファッションの街「原宿」
これはこれから何年経っても変わらない。
変えてはいけない。
Katsutoshi Onuma